『Love Letter』感想

岩井俊二監督の映画『Love Letter』を観た。

率直な感想としては、とても好き。って感じ。

 

主人公の博子が死んでしまった彼の生前の住所宛に手紙を書いた。

「拝啓 藤井様。お元気ですか。 私は元気です。」

当然、彼には届くはずがないことを本人も分かって出したが、なんと手紙が帰って来た。

でもそれは同姓同名の女性、藤井樹(いつき)だった。

そんな二人が文通でやりとりをし、博子の今彼(秋葉)に説得され、神戸からはるばる北海道・小樽まで会いに行くことに。。。

 

まあ、あらすじはこの辺にしておいて感想をもう少し書く。

この映画は客観的にすごく良いかどうかは正直よく分からない。

つまり僕個人はものすごく感動して、嗚咽が出るくらいw泣いてしまったシーンがあるんやけど、それはたぶん僕の個人的な思い出というか、取り返しのつかない後悔ともろに重なっていたからやと思う。

 

博子は今彼の秋葉に文通相手の藤井さんに会いにいこうと説得されるが拒んだ。

それは博子がその文通相手が藤井君であると思い続けたかったから。

本当は別人であることや彼がもうこの世にいなくなったことを直視できなかったから。

でも半ば強引に秋葉に連れられ、同姓同名の藤井樹(彼女は藤井君のもとクラスメイト!)とのやりとりを通じて、少しずつ彼の不在(=死)を受け入れ始める博子。

そうして藤井君の不在(=死)を受け入れたことを示すシーンで、博子は手紙を通して自分の妄想の中の藤井君にではなく、藤井君が亡くなった山に向かってあの言葉で語りかける。

「拝啓 藤井様。 お元気ですか。私は元気です。」

何度も何度も山に向かって、本当の藤井君がいるところに向かって、大きな声で語りかける。

その姿に僕は自分自身を重ねていた。

僕は1年くらい前になくなった自分の父に向かって、博子の声に合わせるように、心の中で何度も何度も語りかけた。

「拝啓 お父さん。お元気ですか。僕は元気です。」

 

この物語の藤井君と藤井さんの学生時代の回想シーンで、

プルーストの長編小説『失われた時を求めて』が象徴的に何度も出てくる。

人の死って不思議だなぁと思う。

僕はまだそれが何かよく分からない。

父が死んでから、自分の中ですごく大きな、それでいて何気ない変化が起きたと思う。

父が生きていたときより遙かに父について考える機会が多くなった。

父さんならなんて言うだろうとか、あの時もっとこうすれば良かったなとか、ありがとうとか、ごめんなさいとか、この話父さんにしたいなとか、もういろいろ思う。

 

そしてそれはまさに、博子や藤井さんが?そうだったように、

失われた時を求めて”だと思う。

 

ずっと続くと思っていた、死んでしまった人との時間。本当はあると思っていた死者との時間。

あるいは生きているけれど、もう一生会って話すことがないかもしれない人との時間。そういうのって結構ある。

僕は最近よく思う。今ここにいる名前も知らないこの人たちと偶然いまここに居合わせていて、それは原理的に奇跡のような瞬間だけど、明日になればこの人達は僕の記憶から一切いなくなり、もう二度と会って話すこともないのかもしれない。

 

それらはすべて”失われた時”なのである。

 

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生活のなかで気づいたことや感じたこと、そこから考えたことを好きなように書きたい。

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ほとんど備忘録のような感じで形式とかを出来るだけ意識せずに書いていくのでたぶん読みにくいことが多いかも。

さあ、どれくらい続くかな〜